2016年8月6日土曜日

ブロードウェイ俳優の勇気溢れる発言

昨年9月、ブロードウェイ俳優 Kelvin Moon のFacebook投稿が全米を駆け巡った。

彼が出演していたミュージカル「王様と私」の公演中、観客席にいた自閉症の少年が大きな声を上げてしまった。それを迷惑だと感じた観客たちは、何でそんな子を連れてくるんだ、早く連れ出せと母親を非難した。
舞台上からその一部始終を見ていたケルビンは公演直後、Facebookで母親を擁護し、彼女を攻撃した他の観客たちを公然と批判した。いわく、自分のミュージカルは真に「ファミリーフレンドリー」なものであって、 障害を持つ人とその家族を排除することは許されないんだと。

彼の意見に対しては、たくさんの賛否両論が寄せられたようだ。しかし驚くべきは、人気商売である俳優がこういった議論を醸す意見を公開しても、その後も堂々とブロードウェイの舞台に立ち続けていられることだ。観に来てくれたお客さんを出演俳優が公然と批判するなんて、日本であれば一発で俳優生命を失うだろう。しかしこの意見を公表したことで、むしろ彼に対する評価は著しく高まった。

アメリカ社会は日本に比べると信じられないくらい酷いところもたくさんあるけど、こういう言論の自由、ことに芸能人たちの自由度の高さはあちらの社会的寛容度の広さの反映であると思われ、そこが本当に羨ましい。


ケルヴィン・ムーンのFacebookとそれを報じる記事。
https://www.facebook.com/kelvinmoonloh/posts/10104340543612609
http://www.today.com/parents/broadways-kelvin-moon-loh-seeks-compassion-after-child-autism-disrupts-t46416
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3249281/Kelvin-Moon-Loh-chastises-King-audience-members-yelled-mother-autistic-child-noise-performance.html

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僕は怒っている。そして哀しんでいる。
ちょうどさっき今日の舞台が終わった。そう、事件はそこで起こった。自閉症の子どもと一緒に来ていたお客さんがいたんだ。

ただし、この話はおそらくあなたが思っているような筋書きにはならない。あなたは僕が今から、静かにしてなきゃいけない芝居に大声を出すような子どもを連れてきた母親を非難し始めると思っているかもしれない。あなたは僕が今から、劇場にその子を連れてきた母親に罵声を浴びせた観客を支持する内容のことを書くと思っているかもしれない。あなたは僕が今から、観客席からの異質な音によって邪魔された同僚俳優たちに対する同情を表明すると思っているかもしれない。

しかしその答えはノーだ。

今度は僕があなたに尋ねたい。私たちが演劇者として、表現者として、そして観客の一員として自分自身のことを気にするばかりに他者に対する共感を失ってしまうのはどんなときだと思いますか?僕にとって劇場は常に、人類の経験を検討分析し、それを我々自身の前で再現してみせる場だ。今日、観客席で起きたことはまぎれもなく現実であり、本来あるべき劇を遮ってしまった。結局のところ劇場とは、エンターテイメントを楽しんで終わりではなく、私たちが劇場から外へ出て日常生活に戻ったときにも背中を押してくれる、そういう場所であるべきだ。

第2幕の最も緊迫する「鞭打ちの場面」、1人の子が観客席で悲鳴を上げた。恐怖の声だ。数日前、自閉症には見えない女の子がやはり同じシーンで悲鳴を上げ大きな声で泣き出したが、そのときは何も起こらなかった。いったい何が違うのだろうか?
彼の声は劇場を貫いた(切り裂いた)。観客たちが母親の元へ押し寄せ、その子を外へ連れ出すように求めた。「何でそんな子を劇場に連れてくるんだ?」と呟く声を、僕は確かに耳にした。これは間違っている。完全なる間違いだ。
だって、あなたはその母親が賢明にその子を外に連れ出そうと努力していたところを見ていないだろう?彼女の息子はそれを嫌がった。手すりを掴んで嫌がる息子を何とか説得して連れ出そうと頑張っている母親の姿を、あなた方は見ていないだろう?僕は見過ごせなかった。芝居を中断してこう叫びたかった。「みんな落ち着けよ。彼女はいま努力してるよ。見たら分かるだろ?彼女はやろうとしてるじゃないか!?」最初から芝居をやり直せって言われれば、喜んでやるよ。返金にも応じるさ。

彼女にとって息子を劇場に連れてくることは勇気がいることだろう。彼女がどんな人生を送ってきたか、あなたは知らない。たぶん、彼が大人しく座っていられて大きな音を立てないような場所を選んでいる限り、彼らは何ら問題ない日々を過ごしていただろう。たぶん彼女は止めることにしたのだ、周りに気を遣いながらおそるおそる暮らすことを、息子にいろんな経験をさせるのをあきらめることを。もしかしたら、今回のようなことが起こることも予測して座席の配置も調べていたかもしれない。あなたが支払ったのと同じ金額を、彼女も息子のために支払っている。彼女の予定では、あなたと同じく、楽しい午後を過ごすはずだったのだ。しかし彼女が最も恐れていた事態が現実のものとなってしまった。
端的に言おう。自閉症者のための特別講演は、劇場をあらゆる人を受け入れる場所にするためにもっともっと開催されるべきだろう。しかし僕はジョセフ・パップのように、そもそも劇場はあらゆる人々のために在るものだと信じている。僕はまぎれもなく「ファミリーフレンドリー」なショーに参加している。ブロードウェイのの「王様と私」は兎に角「ファミリーフレンドリー」なんだ。ここでの「ファミリー」とは、障害を持っていようがいまいが関係なく、すべてのファミリーを意味している。(障害者向けの)特別な公演だけでなく、すべての公演がファミリーフレンドリーなんだ。あなたが観劇しようとしているあらゆる公演が特別公演なんだ。そう、あなたがチケットにいったいいくらのお金をつぎ込んだかなんて、僕は全く意に介さない。


I am angry and sad.
Just got off stage from today's matinee and yes, something happened. Someone brought their autistic child to the theater.
That being said- this post won't go the way you think it will.
You think I will admonish that mother for bringing a child who yelped during a quiet moment in the show. You think I will herald an audience that yelled at this mother for bringing their child to the theater. You think that I will have sympathy for my own company whose performances were disturbed from a foreign sound coming from in front of them.
No.
Instead, I ask you- when did we as theater people, performers and audience members become so concerned with our own experience that we lose compassion for others?
The theater to me has always been a way to examine/dissect the human experience and present it back to ourselves. Today, something very real was happening in the seats and, yes, it interrupted the fantasy that was supposed to be this matinee but ultimately theater is created to bring people together, not just for entertainment, but to enhance our lives when we walk out the door again.

It so happened that during "the whipping scene", a rather intense moment in the second act, a child was heard yelping in the audience. It sounded like terror. Not more than one week earlier, during the same scene, a young girl in the front row- seemingly not autistic screamed and cried loudly and no one said anything then. How is this any different?
His voice pierced the theater. The audience started to rally against the mother and her child to be removed. I heard murmurs of "why would you bring a child like that to the theater?". This is wrong. Plainly wrong.
Because what you didn't see was a mother desperately trying to do just that. But her son was not compliant. What they didn't see was a mother desperately pleading with her child as he gripped the railing refusing- yelping more out of defiance. I could not look away. I wanted to scream and stop the show and say- "EVERYONE RELAX. SHE IS TRYING. CAN YOU NOT SEE THAT SHE IS TRYING???!!!!" I will gladly do the entire performance over again. Refund any ticket because-

For her to bring her child to the theater is brave. You don't know what her life is like. Perhaps, they have great days where he can sit still and not make much noise because this is a rare occurrence. Perhaps she chooses to no longer live in fear, and refuses to compromise the experience of her child. Maybe she scouted the aisle seat for a very popular show in case such an episode would occur. She paid the same price to see the show as you did for her family. Her plan, as was yours, was to have an enjoyable afternoon at the theater and slowly her worst fears came true.
I leave you with this- Shows that have special performances for autistic audiences should be commended for their efforts to make theater inclusive for all audiences. I believe like Joseph Papp that theater is created for all people. I stand by that and also for once, I am in a show that is completely FAMILY FRIENDLY. The King and I on Broadway is just that- FAMILY FRIENDLY- and that means entire families- with disabilities or not. Not only for special performances but for all performances. A night at the theater is special on any night you get to go.And no, I don't care how much you spent on the tickets.


2016年8月2日火曜日

日本と外国と柔道と柔術

AFP通信
「日本の精神」を学んでブラジル柔道を強化、仏出身のメディさん
http://www.afpbb.com/articles/-/3094597?act=all

「100年以上前に日本で生まれた柔道では、規律や礼儀、上下関係を重視する。無法と隣り合わせの奔放さを持つブラジルの文化とは、まったく相容れないといってもいい世界だ。」

僕がちょっとだけ通っていたラルフ・グレイシー柔術アカデミーではみんなそこそこ礼儀正しかったので、これはちょっと意外。アメリカとブラジルでけっこう差があるのか?それとも同じブラジルでも柔術と柔道でも文化が違うのか。

ラルフ・グレイシーでは柔道と柔術のクラス両方に顔を出してたけど挨拶の作法なんかが微妙に違ってて、柔道の方がやはり日本風で少し堅苦しかった。インストラクターは同じ人だったりするから、時間によって作法が変わるのが妙に面白かった。

柔術の練習中にいちど「我々はみんな対等だけどインストラクター側はより多くの経験を積み重ねているのだから一定のリスペクトを持った態度で接するように」との注意があった。叱るような口調ではなく実にフラットな言い方で、その瞬間に道場内に「なるほど。そらそうだよな」という雰囲気が流れた。指導者を敬って当然で済ますのではなく、こういうことをきちんと言葉にして説明するところに感銘を受けた。
他方で、彼らインストラクターは生徒に自分たちをファーストネームで呼ばせる。会話に敬語を使うこともない。生徒同士も互いの年齢のことは全く気にしない。みんながみんな互いの人格を尊重し、礼を尽くす。フランクさと礼儀正しさは両立することをここで学んだ。

指導者や目上の者が無条件に偉い日本社会よりむしろ、そういったしがらみのない外国の方が、対戦相手や練習相手を尊重する武道の真髄が現れやすいのかもしれない。そしてそれは、道場内の全員が全員と握手をしながらお礼を言って練習を終えるブラジリアン柔術の作法に端的に現れているように思う。