2016年12月14日水曜日

アメリカ裁判官の気質

今夏、ケンタッキー州の女性被告人がズボンを履いていない状態で拘置所から公判廷に護送されてきた事件が話題になった。そのことに担当裁判官が激怒している映像が公開され、ワシントンポスト紙、ガーディアン紙、ハフィントンポスト紙など主要メディアでも取り上げられた。

ワシントンポスト
‘She has no pants and she is in court’: Judge outraged over inmate’s appearance
YouTube
Jail sends woman to court without pants

映像を見ると彼女の口ぶりから相当怒っていることが分かるが、その口から発せられている言葉がまた激しい。

“This is outrageous. Is this for real?”
outrageousは、理不尽な状況を避難する意味の形容詞の中でも最上級の部類に入る。あえて日本語にするなら、「許しがたい」「言語道断」といったところだろうか。
Is this for real? は直訳すれば「これは現実なの?」という意味だが、彼女は明らかに「こんなことは現実にあってはならないのに」という含意で言っている。

彼女は、裁判を始める前に、おもむろに拘置所に電話をかける。責任者が電話口に出るのを待っている間、 廷吏に彼女の下半身を隠すものを何か持ってきてと要求する。

 “Can we get her something to cover up with? Anything. Anything. Anything. I don't care what it is.”
ここでは Anything も I don't care what it is も同じ意味。つまり「何でもいいから」を4度くりかえしたところに、彼女のいらだちが現れている。

“Am I in the Twilight Zone? What is happening?"
トワイライトゾーンはもちろんあの怪奇現象を扱った映画のこと。ここでもやはり現実にはあってはならないことが起こっているという彼女の気持ちが、このような皮肉として出てきているのだろう。

ここから彼女は、早口で一気にまくし立てる。
“I have a defendant who has been in you all’s jail for three days who is standing in front of me completely pants-less. Has no pants on. She has requested pants for three days and has been denied pants for three day. She has no pants and she is in court. And she has also been denied feminine hygiene products."

そしてここで、極めつけの一言が発せられる。
“What the hell is going on?”

“What is going on?" は文字通り、いま何が起こっているの?という意味。マーヴィン・ゲイの名曲のタイトルとしても有名だ。しかしここに the hell が入っている。これはアメリカ人が口語でものごとを強調する言い方で、日本語で言えばクソ暑いとかクソ寒いの「クソ」のようなものだ。語感のとおりお世辞にも綺麗な言い方とはいえず、少なくとも裁判官が法廷で使う類いの言葉ではない。それを裁判官が公開の法廷で拘置所の責任者に向けて使っているのだから、まさに怒り心頭に発している場面だ。

日本の裁判官も実は法廷で、けっこう感情的になる人が多い。でもそれは自分の思い通りに物事が進まないときであって、法廷内の絶対権力者である彼ら彼女らの職業病であると僕は見ている。ところがこの裁判官Amber Wolfが怒っているのは、目の前の被告人が理不尽な目に遭っているからだ。裁判官が自分のためではなく他人のために、しかも犯罪を犯してここへ来た被告人のために怒っている、それが僕にとっては新鮮であり驚きだった。

日本ではなかなかありえないことが、ここからも続く。というのも、彼女は繰り返しこの被告人に対し、司法を代表して謝罪するのだ。その謝罪の文言も明確かつ力強い。
“I want to extend my deepest apologies to you for the way that you’ve been treated while you’ve been in our jail. This is not normal.”
ここでウォルフ裁判官は“my deepest apologies"という言い方をしている。さらにこの後にも彼女は“incredibly sorry"という言葉を使った。
周りの目を気にせず、組織の論理に埋没せず、自分の責任で自分の価値判断で行動するところがいかにもアメリカの裁判官らしい。であると同時に、彼女はあくまで司法という制度を代表して謝っている。冒頭部分で彼女は拘置所の責任者に対して強いアクセントで “our jail" (われわれの拘置所)という言葉を使っており、ここにも彼女の強い責任感が現れている。

権限と権力を与えられた者がその意味を理解し自分の責任で行使する、ある種の個人主義を体現できる公務員の集合体としての組織であって初めて、正義と公平の実現である「法の支配」は具体化しうるのであろう。アメリカはどの分野でも非常に振り幅の大きい社会であるが、ときどき「さすが立憲主義の母国だ」と感じさせてくれるところに強い魅力を感じる。



2016年12月8日木曜日

リトルロック高校事件

アメリカ憲法史上もっとも有名な判例の一つであるブラウン事件判決。これにより「分離しても平等」と正当化された人種分離教育は否定され、白人と有色人種が学校で席を並べる新たな時代が始まった。

しかし、アメリカの「伝統」を覆すことに対する白人層からの反発は大きく、リトルロック高校へ進学した黒人(アフリカンアメリカン)生徒9人の安全を守るため、大統領はついに連邦陸軍をこの田舎町に派遣した。これがアメリカ人なら誰もが知っているリトルロック高校事件の概略。

ブラウン判決とリトルロック高校事件のことはあちこちで度々目にするが、もっと詳しく知りたいと常々思っていた。そこへこの本の紹介文が飛び込んできた。

ELIZABETH AND HAZEL ~ TWO WOMEN OF LITTLE ROCK


リトルロック高校事件の象徴とされている有名な写真がある。この本の表紙下半分を飾っている写真だ。アメリカのたいていの教科書には、この写真が載っているらしい。

自分をにらみつける周囲の大人たちを無視して平然と歩むサングラスをかけた黒人少女。そして彼女へ向けて怨嗟の言葉を浴びせかける白人少女。前者はエリザベス・エックフォード、リトルロック高校へ入学した有色人種第1期生の1人。後者はヘイゼル・ブライアン、オシャレと恋愛にしか興味の無かった平凡な女子高生。1957年9月4日に撮影されたこの写真が、2人のその後の人生を決定づけた。その写真を撮影した写真家デイビッド・マルゴリックによって、リトルロック事件と「2人のその後」が描かれているのがこの本だ。

州兵、警察官に至るまでありとあらゆる大人がたった1人の少女を取り囲み罵声を浴びせる様は、活字で読んでいてもあまりにも醜悪だ。それだけに、市民が暴徒化したときに備えてエリザベスを守れる位置にさりげなく移動する州兵がいたり、ニューヨークなど都会から来た男性記者たちが彼女の防波堤になろうとした事実に心が救われる。しかし彼ら男性にはそれだけで精一杯。エリザベスを抱き寄せ、人垣を押しのけ、バスを捕まえて彼女を安全な場所まで避難させたのはグレイス・ロウチ、たった1人のよそ者白人女性だったことが興味深い。

1957年当時、エリザベスを含む9人の高校生たちに浴びせられた言葉は「アフリカへ帰れ」。ヘイトスピーチは60年前も今も、日本でもアメリカでも全く変わらず、そこに何らの創造性もオリジナリティもないことに少々驚いた。

ついに大統領が動き、後にリトルロック・ナインと呼ばれる高校生たちが登校できるようになってめでたしめでたし、とはならない。むしろメディアの注目が去った後、9人の高校生たちに対する嫌がらせは陰湿さを増し、結局ほとんどの子たちはリトルロック高校を卒業できなかった。エリザベスも卒業できなかったばかりか、その後長年にわたりPTSDに苦しむことになる。

他方でヘイゼルも、もともと政治的社会的問題に全く関心など無かったにも関わらず、その場の勢いに任せてエリザベスを罵倒し、たまたまその場面が写真に撮られていたがために「リトルロックの少女」という十字架を背負い続けることになる。しかしこちらはエリザベスと異なり、その痛苦の経験をプラスに変え、かつて自分が差別した黒人を含む貧しいマイノリティの若者を支援する市民運動のリーダーとなっていく。

アメリカン・ライターは、良くも悪くも読者を引きつける文章文体の構成に秀でた人が多い。しかしこの本の著者は、本業が写真家だから仕方ないと思うが、流れるような文体とは言えない。プロのライターなら切り捨てるであろう細かいエピソードも満載で、それを全部載せようとするところに彼の誠実さを感じる。非英語話者である僕には決して読みやすい本とは言えないし、全然ハッピーエンドではないストーリーではあるが、アメリカ人権史を代表する事件のディティールと偉大な女性2人の人生をありのままに知ることができた満足感には相当なものがあった。




2016年12月4日日曜日

万国の法律家よ、団結せよ

世界有数の巨大ローファームの元パートナー弁護士ウィリアム・リー氏が、ガソリンスタンドで給油していたところ、「国へ帰れ」と罵声を浴びせられ、その後もしばらく車でつけ回されたという記事。
In Wake of Election, Wilmer's Bill Lee Reveals Troubling Incident

日系人を含むアジア人に対するヘイトが出てくるであろうことは大統領選挙前から予想されていたし、実際に選挙直後から全米各地で勃発していた。しかし、この記事には正直驚いた。
というのも、このリー氏がかつて経営していた法律事務所は世界中に支店を持ち、1000人以上の弁護士を要する超巨大ローファーム。要するに彼は、僕のような庶民弁護士が今まで会ったこともなければ今後も接触することもないであろう、いわば特権階級の人だ。どれほどの金持ちなのか想像もつかないし、日常生活で使う店や施設も市井の人々とは違っているだろう。今回はたまたま郊外のガソリンスタンドに立ち寄った際の出来事とはいえ、そんな彼でも危険な目に遭うということは、もはやアメリカにマイノリティーにとって安全な場所などないということを示している。

リー氏は言う。

“As a profession, we must ensure that the rule of law that is our fundamental core value is our highest priority and applicable and available to everyone.”
プロフェッションとして、われわれ法律家は、われわれの基本的根源的価値である法の支配こそが最も尊重されるべきであり、かつそれが万人に適用されることを確保しなければならない。

実際、今回の大統領選挙の結果を受けて、アメリカの法律家の間でトランプ政権と対峙するための新たなネットワーク作りが進行しているという話も、友人のアメリカ人弁護士から聞いている。


15年ほど前、上海で最も成功していると言われる法律事務所を訪問する機会があった。その経営者たちはみな30代。当時の日中物価格差も勘案すると、彼らの年収は日本での2億円に相当すると聞いた。そのうちの1人に、今後の目標について尋ねた。

「この国(中国)に法の支配を実現したいんだ」

それが彼の回答だった。


昨年、路上で或いはメディア上で立憲主義という言葉をたびたび聞くようになった。平易な言葉で憲法を語ろうとするあまり、それまで立憲主義という言葉を避けていた自らを恥じた。その反省を生かして、いま法律家として自分がやらなければならないことは「法の支配」という概念をこの国に根付かせ、広めることではなかろうか。

今から70年前、この日本という国は「悪法も法なり」に象徴される形式的法治主義を乗り越え、個人の尊厳を保障し尊重しうる法のみがその存在を肯定される「法の支配」を中核的価値とする現行憲法を採用した。自分が日本国憲法を学ぶ中で日本国憲法から教えられた「法の支配」の実感は、国や地域や文化を越えて、世界中の法律家たちと心を通わせ、力を合わせることを可能にする共通言語だと確信している。



2016年12月3日土曜日

ギャラリーフェイク

11年前に連載が終わったギャラリーフェイクの新刊が出た。マスターキートンのそれもイマイチだったし、リバイバルものって9割9分ハズレだから、きっとこれもそうだろうと思ったのについつい買ってしまった。

いやいや、これはなかなかの傑作なんじゃない!?マンガで時事ものを扱うのって結構難しくてリスキーだと思うんだけど、この311のストーリーなら当事者の人たちでも違和感なく受け入れられるんじゃないだろうか。ヨーロッパのテロを題材にした話はユーゴ紛争もかませた上で昨今の移民排斥にも振れていて、ここまでいろいろ盛り込みながらこんなにマンガとしてのバランスを保っているのは本当に凄いと思う。

裕福ではない階層出身の僕がアートを自分なりに楽しめるようになったのはまぎれもなくギャラリーフェイクというマンガのおかげであることを思い出せたし、その恩人のようなマンガが十数年ぶりに復活しても素晴らしいクオリティであったことが嬉しくて嬉しくて堪らない。





2016年12月1日木曜日

「亡くなったら口座が凍結されるから〜」にご注意

相談者依頼者が「ネットにそう書いてありました」と言われたとき、僕はたいてい「それは誰が書いたものですか?弁護士ですか、弁護士以外ですか?」 と尋ねます。そうすると、大概の人は答えられません。著者が何者か確認していないということは、その情報の確度を全く検討していないということです。

相続問題をはじめ法律問題は基本的にどこまで行ってもケースバイケースだから、こういうときはこうなります、こうすれば良いという文章を書くのはとてつもなく難しい。だから弁護士の書くブログは、正確を期そうとするばかり、制度や事例の紹介だけの面白くないものになりがちなのでしょう。

他方、ライターさんが書いたこの記事は面白いし、読ませるし、親が亡くなったときにはいろいろ気をつけるべきことがあるという問題意識はとても良いと思う。けど、いかんせん内容が不正確です。

「父急死で預金が下ろせない!「口座凍結」の恐怖」ダイヤモンド・オンライン 西川敦子著

銀行窓口で名義人が死んだことを言っちゃったらめんどくさいことになるよ-、これは僕も必ず言います。ここにはそこまでは書いてないけど、「だから先に下ろしとけ言われたんです」という話をよく聞きます。それがいいかどうかは場合によるから、なかなか難しいところです。

親が亡くなった後に必要となる諸費用を生命保険使って横に避けておく方法も有用だと思う。ただし、それを勧めるかどうかと言えば、そのご家族の関係次第ですよね。
「遺産分割協議書を作成するには相続人全員の実印が必要」!?いやいや、その協議書の用途によるやろ。

「もっとも「成年後見制度」を活用すれば話が別だ」!?間違いとまでは言わないけど、それまで親が亡くなって口座凍結されたときの話してたのに、話がずれてるやん。
でもまあ、成年後見制度の活用は確かに大事です。
 
極めつきが「あらかじめ親に借金しておくこと」!?それ親の金を預かって代わりに支払いしてあげてるだけやん。何でわざわざ借金して立替払いして死後精算なんてめんどくさいことする必要があんのよ!?後々きょうだいと揉めないためにそういう手法をとる言うんやったら、葬儀費用に親の金使ったらアカンよね。 葬儀は喪主が出すもんなんやから。

いろいろ気になったところがあったので難癖つけてしまいましたが、こういうところが弁護士のライターさんに及ばない理由なのかもしれませんね。