2019年7月29日月曜日

「経営者の孤独。」土門蘭著、ポプラ社刊


東大阪で金型屋を営んでいる従兄弟に、むかし言われた。
「顧問税理士は必要やけど、会社経営に顧問弁護士はいらんやろ」

その後、弁護士として独立し、何人か顧問契約を結んでくれる人も現れた。しかし何で自分なんかと顧問契約を結んでくれるのか、正直分からなかった。あるとき、顧問先の社長が教えてくれた。
「全部自分で決めて責任を取らないといけないから、経営者は不安で孤独なんです。だから、いつでも先生に相談できるというだけで凄く助かってるんです」

そうか、なら経営者の不安や孤独をもっと勉強しようと、その類の本を書店で探すようになった。それで出会ったのが土門蘭さんのこの本。


ところが、経営者の思考や心理を知るために買ったのに、突きつけられ直面したのは自分自身の思想と生き様だった。なかでも、最も自分に迫ってきたのはクラシコム佐藤友子さんのインタビュー。以下、引用。

期待が外れて、がっかりしてもいいと思った上で、信じているから。だから、この人を信じようと思ったら、いっぱい時間作って教えて、成長を促進させたいって思うんです。そういうコストのねじがばかになっているんですよね。最初から期待しないほうが生きるのが楽だろうとは思って何度か試みたこともあったんですけど、うまくいかないんです。すぐに期待してしまう。だけど私が12年経営者としてやってくれていたとしたなら、やっぱりそういう「人」との関わり方というか、人的資産にものすごくこだわりがあって。一緒に働いてくれる人たちとは特別な関係を築きたいから、精一杯向き合おうとする経営者ではあったと思います。言いたくないことも言わなくちゃいけないっていうときには、お尻と椅子の間にびっしょり汗をかきながらでも、一所懸命正直に言ってきたし、何か誤解があるなっていうときにはその人を呼んで話し合ったし、それで解決したわけではないこともいっぱいあるけれど、コミュニケーションから逃げないっていうことは自分にすごく誓っていて。だからこそ、それがうまく伝わらなかったときには、寂しさ、徒労感、切なさは感じるんですけど、それでもやめられないんで。よっぽど人と向き合いたいんだってことですよね。だから今はもう、それを自分の「経営者としての持ち味」にしていくしかないなって、諦めている感じですね。


”人生長くても80年しか生きられないんだったら、傷ついてもいいから、本気のコミュニケーションを人ととりたい”


この部分を読んで、自分が弁護士としてのスタンスを決めた瞬間を思い出した。

クライアントは病院と執刀医だったドクター。医療側の不手際により患者が帰らぬ人となってしまった事案。
手術が上手くいかなった後、執刀医の彼は家族が要求すると夜中でも休日でも呼び出しに応じ、質問詰問に答え続けた。その時点では病院側も原因を解明するに至っておらず、彼がいくら説明しても、家族が納得しないのも無理はない状況だった。それゆえ彼が答えれば答えるほど、家族は微細な点が気になり、不信が不信を増幅していく。その後、ご本人は亡くなり、ご家族は法的手段を選択した。

一生懸命に説明を尽くせば尽くすほど誤解と不信を産んでいく姿は、悲痛としか言いようがなかった。しかし彼は言った。
「いろいろ悩んだけど、医師として自分にはこのやり方しか出来ないですから」

弁護士として5~6年目だっただろうか。一通りの仕事は出来るようになっていた。しかし説明多過なのに説明そのものが未熟だったため、ときおり依頼者からの反発を招き、こんなことなら誠意を尽くして懸命に説明しない方がマシなんじゃないかという方向に行きかけてたときだった。
医師は人の命そのものを預かる仕事。その仕事の重みが弁護士のそれとは比較にならない。まさにその命を自分のミスで奪ってしまったばかりの彼がここまでの覚悟を示したのを見て、弁護士ごときが何を甘えたこと言ってんだろうと、自分の悩みが馬鹿らしくなった。下手だろうと未熟だろうと、全力で説明を尽くさないなら自分が弁護士をやってる意味がない、そのことに気づいた瞬間だった。

だからこの佐藤さんの、途中で燃え尽きたらそれで仕方ないという感覚はよく分かる。自分が自分でなくなる方法で騙し騙しやるなら、その仕事を続ける意味などない、自分はそういう生き方しか出来ない人間なのだから。

どちらかというと佐藤さんのお兄さん、青木さんに自分は近い。学校には馴染めなかった。いつでもどこでも変わり者扱いをされた。たまたま弁護士という職業に出会い、変わり者であることがむしろ活きる職業に就けている。変わり者が生きにくいこの日本社会で、せっかく自分を貫くことが出来る特権的職業に就くことが出来たのに、それをやらないのはむしろ不誠実というものだろう。