2015年11月30日月曜日

相談者からのいただきもの

僕は普段あまりストライプタイはしません。
でもメンタルが弱っているとき、なんとなくこのタイを選んでしまいます。

事案の内容や相談者の資力から考えると、依頼を受けたら本人にとって費用対効果が合わんなあと思ったときは、都度つど相談に来てもらって、交渉や調停ときには訴訟も自分で頑張ってもらうことにしています。

解決できたと相談者の方がわざわざ報告に来てくれた時に、お礼にといただいたネクタイ。ご主人が、僕に似合うのはどれかと悩んでこれを選んだと仰っていたことが、今でも僕を励まします。
弁護士になってまだ間もなかった頃、僕がまだ紅顔の美青年だった頃のお話です。



2015年11月26日木曜日

記憶メカニズムの不思議

立憲主義や民主主義をきちんと理解するために英米仏の歴史をもう少し勉強せなあかんけど、手軽なイギリス史の本が見当たらないなとずっと思ってました。そこへ出たこの本。ようやくマグナカルタが出てきた時代背景が分かりました。

ところで、ママ友とGame of Thronesの話してるときに「あれってバラ戦争がベースになってるんだよ」って教えてもらったけど、アメリカの友人たちとのそういった会話は全て日本語で記憶されています(僕の記憶の中では彼女たちはみんな関西弁しゃべってる)。人間の記憶のメカニズムってどうなってんのか、気になってる昨今です。



2015年11月25日水曜日

弁護士紹介と弁護士冥利

利益相反や自身の専門性不足など何らかの事情で自分が受けられないとき、ほかの弁護士を紹介するということを、昔から僕らの業界はやって来ました。そういうときに最適な人を見つけることも、弁護士の仕事のうちだと考えています。
先日も、弁護士としての技術や誠実さ、しんどいことだらけの思春期の少年と気持ちを通じ合う能力などから、この事案を紹介するなら彼しかいないという人に頼んだところ、快く引き受けてもらえました。

後日お父さんから、彼が息子と信頼関係を築いてくれて随分様子が変わって来たと喜びのメールが、普段はそういうことをあまり表に出さない人だったのですが、僕のところに届きました。弁護士冥利に尽きる瞬間です。

2015年11月21日土曜日

いろいろ刑事さん

人生で初めての接見(留置場や拘置所での面会のこと)は、たしか実務修習初日のことでした(帰りに鶴橋で焼肉をたらふく食べさせてもらった)。連れて行ってくれた佐伯照道先生が接見終了後、そのまま担当刑事と会って話をしていたのを見て「こりゃいい」と思い、以来十数年間、できるだけ初回接見時もしくは初動段階で担当刑事と会うようにしています。
刑事さんも様々で、フランクにいろいろしゃべってくれる人もいれば、無闇矢鱈に警戒しまくる人もいます。弁護士にどこまで話していいか自分の頭で考えて判断できる人は大らかだけど、そうでない人はうーんというのが従来の僕の印象。
こないだの刑事さんは、電話した段階では僕と会うことすら嫌がってる感じだったけど、結局ノーアポで行ってみたら結構ベラベラしゃべってくれた^_^

警察のことは、よう分からんね。

2015年11月17日火曜日

「普通」とノーベル賞

「将来、自分はノーベル賞を獲る」「尊敬しているのはエジソン」が口癖だったために、入学するなり先輩から「エジオ」というあだ名を付けられた柔道部の同輩。僕らの行ってた高校はいわゆる有名進学校ではなかったし、もちろんノーベル賞発言のことなんて皆バカにしてかかってた。そんなこと口にするだけで「変な奴」確定。
大学院を出て企業に就職したら、会社の命令で名古屋大学に出向。不本意だったようで、出向中は会社に戻りたいと愚痴をこぼしてた。
今春、高校の同窓会に一緒に行こうと誘ったら、「その日は先生のノーベル賞受賞パーティがあって名古屋に行くから無理」とつれない返事。なんだかんだ言って、ノーベル賞とノーベル賞受賞者が身近にある人生を送っている。
当時は大人の作った「常識」に屈服した奴が「普通」で、でっかい夢を公言すると「変わった奴」扱いされたもんだけど、20年も経つとけっきょく後者の連中が強いんだよなあと、ひとつまみの後悔と大さじ一杯の賞賛を味わっている昨今です。

時代は名大だがね ノーベル賞6人輩出 
閥なく自由闊達

(1/2ページ)
2014/10/17付日経新聞

2015年11月15日日曜日

パリ市内同時多発テロを受けて

「120人が亡くなった」と表現するとただの数字になってしまうけど、その120人の1人1人にはそれぞれの名前があり、年齢があり、生活があり、家族があり、将来があった。
かつて綿井健陽さんが映画「リトルバーズ・戦火のバグダッドから」を公開してくれたおかげで、空爆で子どもを殺されたイラクのお父さんお母さんも自分と同じただの親なんだと実感することが出来た。
英テレグラフ紙は、2014年7月にイスラエル軍の攻撃によって殺されたパレスチナの子どもたち1人1人の名前と年齢と性別を図示することで、この子たちそれぞれに人生と未来があったことを表した。
forces.htmlhttp://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/palestinianauthority/10984259/Revealed-the-Palestinian-children-killed-by-Israeli-forces.html



テレグラフ紙2014年7月22日より


ワシントンポスト紙は、パレスチナ・イスラエル双方の被害者全員をシンボル化し、それぞれのフィギュアにカーソルを持っていくとその人の年齢と性別と死亡日が分かるグラフィックを掲載した。

http://www.washingtonpost.com/wp-srv/special/world/gaza-counter/


ワシントンポスト紙2014年8月7日より


願わくば、今回のパリの犠牲者もベイルートの犠牲者もそれが抽象的な数字ではなく1人1人の人間であったことが分かる、そういう報道をメディアには期待したい。イラクやシリアではあまりにもたくさんの人が虫けらのように殺されすぎててとてもそんな作業はできないだろうから、せめてフランスとレバノンの被害者だけでもと思う。




2015年11月13日金曜日

「人が病気で死ぬワケを考えてみた」

敗血症で死ぬメカニズム書いてある本がなかなか見つかんないなあと思ってたら、やっと見つけました。しかもマンガ!!
ガンで死ぬ理由もずっと知りたかったんだけど、それはまあだいたい想像してた通りだった。
二型糖尿病になるメカニズムはあんまり詳しく書いてなくて、そこは残念。
免疫機構の説明は今まで読んだどの本よりもわかりやすかった。

よくあるルポものではなくて、現役の臨床医が自らマンガを執筆してるからこそ、この高いクオリティなんだろうと思いました。


2015年11月12日木曜日

THE BIG ISSUE JAPAN220号より

「自閉症の人の引き出しは,座った時におなかの前にくる底の浅くて広いやつで、そこに写真が整理されることなく、ダーッと一面に広がって入っている。一方、あたしらその他大勢の引き出しは、横の下の方にある底の深い大きな引き出し、写真は年代ごとにファイルに細かく分けられて、それぞれのファイルは古い順に奥から並んで立ててある」

いつも楽しみにしているビッグイシューの連載、自閉症者の東田直樹さんと精神科医の山登敬之さんの対談。いわゆる「健常者」を「あたしらその他大勢」と表現するところに、山登先生の精神科医としての誠実さとプロフェッショナリズムを感じた。



2015年11月11日水曜日

海外ドラマで英語学習

本当にいろいろいろいろいろいろ試してきた英語学習法の中で、自分にとっては同じ海外ドラマを繰り返し観ることが一番効果的かつ実践的だったので、いずれ文章にまとめようと思っています。
で、誰でも同じようなこと考えるもんで、海外ドラマ、英語学習とかでググってみると大量にそんなサイトが出てきますが、共感できるものはほとんどありません。
が、先日たまたま「リトルチャロ」で検索したところ、このサイトを見つけました。
海外ドラマで学習するメリットだと感じていながら僕が言語化できていなかったことを、ほぼ全て書いてくれています。特に,学習に適したドラマの選び方は「そう!その通り!」
例えば僕の大好きなGame of Thronesなんて基本時代劇だから、日常会話で使える単語や言い回しはほぼ出てこないし、会話のないチャンバラシーン満載だし、残虐すぎて子どもの起きている時間は観れないしで、いくら好きでも英語の勉強には全然適さない。

ところでチャロを久しぶりに観てみると、セリフの一つ一つが日本人の英語学習用にものすごく練られていて、ちょっとビックリ感動しました。

2015年11月10日火曜日

弁護士の技術

師匠のとこから独立して今の事務所で仕事を始めて丸3年。訴訟でも交渉でもとっさに判断せなあかん場面では師匠から教えてもらったことしかやってないなと自覚しつつ、反対尋問のやり方は全然違う、というかあんな天才的なものは真似しようとしても出来ないし、真似しようとしてはいけないと考えていました。
が、とある証人尋問の際にとっさに何とかせなあかん場面になったとき(自分の見通しの甘さゆえに招いた事態ですが)、気付いたら師匠のやり方(の一つ)になってて、証人を追求しつつ少々気恥ずかしくなりました。
師匠の庇護の元を出て自分で責任を持って仕事をするようになってから、弁護士って他の職人と同じく、先輩の元で修行できる徒弟制であるべきだなという確信が日々深まっています。

2015年11月9日月曜日

Cute! Adorable! Amazing!

リンパ腫に罹患した母親に孫たちと合わせてあげたいけど、子どもたちはしょっちゅうどっちかが病気になってるので面会させられない。
そこでせめて最近の様子を写真で見せてあげようと、写真家のジェイソンさんが2006年から撮り始めたもの。アイデアそのものは子どもたち自身によるものだそうで、まあとにかくクリエイティブで可愛い。

2015年11月8日日曜日

忘れられない医療事件

クライアントは、手術で患者を死なしてしまった外科医とその勤務先病院。手術中の思わぬアクシデントで手術時間は大幅に伸び、術後の容態も良くありません。それから患者さんが亡くなるまでの数日間、彼はずっと病院に泊まり込み、亡くなる前も亡くなった後も昼夜を問わず家族からの呼び出しに応じ、問われたことには何でも答えました。
ところがそういう場面で説明すればするほど誤解を呼ぶもので、後に法的手段をとられたときの書面には、あのとき主治医はああ言ってたのに、このときはこう言ってたという類のことがたくさん書かれていました。
今回のことで、一生懸命説明する今のスタイルをもう辞めようかと思ったこともある。でも、それを辞めると医師としての自分の存在意義がなくなるので、これからも同じようにしていこうと決めた。こういう趣旨のことを、僕と同世代の外科医は言いました。
責任を問われるリスクを下げるために曖昧な説明をするスタイルを嫌悪していた僕は、弁護士登録当初から極力はっきりとした言い方をすることを心がけていました。そのこともあってクライアントから誤解や反発を招くことも多々あり、特にその当時は頻発していたため、かなり動揺していた時期でした。
ちょうどそのタイミングでこの外科医の言葉に直面し、「俺もこのスタイル辞めたら弁護士続ける意味ないやん。おんなじや」と腹をくくることができたのです。患者の命そのものを預かってる医者ですらここまで覚悟してるのに、たかが弁護士が何を甘っちょろいこと言うてんねんっちゅう話ですわな。
今も相変わらず同じパターンでクライアントと衝突し、精神的ダメージを負うことはしょっちゅうですが、そのことでスタイルを変えようとか動揺することは全くありません。
まあ、いつまで弁護士を続けるのかという根本問題では、いまもグダグダなままですが。