2018年6月4日月曜日

見え方の「相対性」


高校時代、弱小柔道部とはいえ毎日それなりにハードなトレーニングを積んでいたにもかかわらず、最軽量級である60㎏以下級の制限にも遙かに及ばない57㎏しかなかった。試合に出れば、いとも簡単に投げ飛ばされた。子どもの頃から体が大きい方ではなかったこともあり、自己認識は「小さくて華奢」だった。

働き始めてから、その自己認識と周りからの見られ方にズレがあることに気づき始めた。スーツを試着すると「何かスポーツやってますか?」と聞かれることが多いからだ。スーツを着ると胸や背中まわりが強調されるのか、異業種交流会などでも「何かやってますか?」と尋ねられることがままある。日本で暮らす平均的な人と比べると体に厚みがあるのかもしれないなと、自己認識が若干修正され始めた。

2011年にカリフォルニアに留学し、またもや自己認識が根本的に入れ替わる。自分と同じくらいの体格のアジアルーツの人も多い地域ではあるが、それでも同じホモサピエンスと思えないくらい大きな人がゴロゴロいてる。町中でたまたま出会った柔術アカデミーの仲間をカミさんに紹介したとき、「アンタあんな大きい人と練習してんの?殺されるんちゃうか?」と驚かれた。当時の自己認識はタイニータイニージャパニーズ。自分よりも遙かに大きい人たちと練習することは当たり前だったので、彼女の反応にむしろ驚いた。

2012年に帰国。再び地下鉄で通勤するようになって最初に思ったのが「みんな細いなあ」。日本の男性もほとんどは自分よりは背が高いのだけど、骨格が違うのか、カリフォルニアで周りにいた人たちに比べると華奢に感じる。そして自分はと言えば、再び「胸板厚いですね。何かやってるんですか?」とたびたび尋ねられるようになった。

2016年、ブラジリアン柔術を再開した。アカデミーの仲間も鍛え上げられてる人が多いけど、特に大会会場に行くと物凄い人数のゴツい人に囲まれて、自分はなんて貧弱なんだろうと場違いに感じる。

体格に対する自己認識1つ取ってもこんなにも不安定で周囲との関係で大きく変わるのだから、物事の見え方の相対性って何とも不可思議で面白いもんだなあと思うのです。


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