語学堪能なある大学教授から、こんなエピソードを聞いたことがある。外国から来た友人を観光案内していたところ、「あれは何て言うんだ」と尋ねられた。それで答えたところ友人は「いや、日本語で何て言うのか知りたいんだ」。それに対してその教授は「いやだから、いま日本語で答えたよ」。台湾や韓国から人を迎えることの多い彼は、こんなことを何度か経験していると言っていた。僕らがそうと気付いていないだけで、日本語にはもともと古代中国語だった言葉がたくさんあるから、かつて同じく中国文化圏だった地域の言語(特に名詞)にはほぼ同じ音の単語があるので、こういうことが起こるらしい。
同じようなことは英語とその他のヨーロッパ言語との間にもある。英語は古来のアングロサクソン民族の言葉も残っているとはいえ、ヨーロッパ大陸の言葉、フランス語やラテン語の影響をかなり受けている(というか、むしろそっちが現代英語のベースになっているらしい)。ESLクラスの授業で講師がスペイン語圏やフランス語圏の生徒のために、語源が同じでスペルも共通しているけど英語では意味が転じて逆の意味になっている単語を書き出したことがあった。これはつまり、それ以外の多くの単語は読み方が違うだけで英語でもフランス語でもスペイン語でも同じ意味のまま共有されているということだ。
そして何といってもこれらの国々はキリスト教文化圏だ。アメリカですら本を読んだりドラマを観たりしていると、聖書のエピソードやラテン語の格言がたびたび登場する。ロシア語通訳の米原万里さんも最低限のラテン語教養がないとヨーロッパ言語の通訳は務まらないと書いていたが、日本語話者にとってはロシア語でも英語でもその壁は同じだ。
地理的に近く歴史的に文化的背景を共有している地域の言語同士は、単語そのものが共通していることも多く、言葉や文章を構築する文化的基盤も共有しているところがある。ところが日本語と英語との間には、そういうところが全くない。互いに外来語として輸入した単語はあるが、それはごくわずかな例外に過ぎない。それゆえスペイン語やドイツ語、ポルトガル語などヨーロッパに起源を持つ言語を母語にする人たちに比べて、日本語を母語とする人間が英語を習得することのハードルは比較にならないほど高くなる。
英語と日本語では、まず語順が違う、文法構造が全く違う、次に音が違う、発音発話方法が全く違う、そして語源も文化的背景も共有していない。要するに、共通点が何にもないわけだ。これで日本語話者が英語を「簡単に」「短期間に」習得できたら、むしろその方がおかしいだろう。われわれ日本語話者がそんなに簡単に英語を使いこなせるようになるのなら、バベルの塔にキレた神が世界の言語をバラバラにした甲斐がなくなってしまう。
英語習得が難しい理由を整理したら絶望的な気分になるかといえば、実はそうではない。ここを直視せずにやみくもに非科学的な学習を繰り返すから効率が悪くてなかなか上達しなくて、しまいに嫌になっていつまで経っても英語が話せるようにならない。逆に難しい原因が分かれば、その対策を一つずつとっていけばいいだけになる。
以前にも紹介したアルクの入門教材、伊藤サム元ジャパン・タイムズ編集長のテキスト、高木先生(日米英語学院)のメソッドなどはいずれも、こういった日本語話者特有の困難を突破するために作られている。けど僕はそれらの優れたテキストやメソッドにも増して、英語字幕で英語圏の映画やドラマを繰り返し観ることが日本語話者が英語を習得するために効率的な学習法だと確信している。
その話はいずれまた、機会を改めて。