「午前中に自分の膝の上に座らせて本を読んであげた生徒が、その日の午後に亡くなったことがある」特別支援学校を訪問した際に、校長先生から聞かせてもらったお話。
たとえ近日中に亡くなることがわかっていても子どもには亡くなるその瞬間まで学習権がある、子どもの学習権は未来の大人を作るためだけのものではない、なぜなら学習権は人権だから。先の校長先生の体験を聞いたとき、専門家を自認していながらそんな当たり前のことに認識してなかった自分に気付いて、思わず赤面した。
ある文科相官僚にこの話をしたところ、
「確かにそうだね。例えば不法滞在で親とともに強制送還される子どもがいたとしても、そんなことは自分たち(文科省官僚)には関係ない。日本の領土を離れるその瞬間まで、その子に教育の機会を提供するのが自分たちの仕事だから」
そう言いきった。私人間の紛争解決を生活の糧としている弁護士よりは、憲法に基づいて日々の業務を遂行している行政官僚の方がよほど人権感覚に優れているようだ。
経済の発展。平和な社会の構築。教育の充実によって得られる社会的恩恵は計り知れない。しかしそれらは副次的効果であって、あくまで教育は1人1人の個人の幸せのために保障されるものである。それが学習権という思想であり、日本国憲法や子どもの権利条約の考え方である。教育に対する考え方やアプローチは様々あり得るけど、少なくとも法律家はここを外してはならない。
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